
今年もあと2ケ月になろうとする直前に、嬉しいニュースが届きました。
二人の日本人がノーベル賞を受賞されました。
化学賞の北川氏、生理学・医学賞の坂口氏です。
科学分野では仮説・検証・失敗を重ね、長い時間をかけて成果を出す領域です。
北川氏は、老荘思想の『無用の用』(何もないものにも意味がある)を紹介しています。
坂口氏の受賞に際しては、新聞紙面で『これを知る者はこれを好む者に如(し)かず』という孔子の論語が紹介されました。
「物事をただ知っているだけの人は、これを心から好んでいる人には及ばない」という意味です。そしてこれには続きがあります。
『これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず』。
「更に、好んでいるだけの人は、楽しんでいる人には敵わない」という意味です。
無理強いされるのではなく、『知る』、『好む』、『楽しむ』の三つの要素は、学問だけでなく、音楽、スポーツ、武道どんな領域でも共通します。
春風会の、HPの【ご挨拶】にも『二:楽しいこと』と記載しております。
メジャーで大活躍している大谷翔平選手は、三振、凡打、死球になっても、また投手で安打を打たれてピンチになっても笑顔を絶やさず、結局ホームランを打って、三振を取る結末になるのですが、これには『楽しむ』がベースにあるからなのでしょう。
やはり、居合道を例にしましょう。
着座の仕方、刀の置き方、帯刀の形、正しい姿勢、ぶれない歩き方、目付け、刀の振り方を知る。
稽古を続けると、出来なかった事ができるようになる、意識は変わり、伝統を継承してきた数々の技を身につけることが好きになる。
稽古で汗にまみれ、昇段の緊張とプレッシャーを感じる、楽しいという境地になる。
こうなれば、心技体に前進あるのみです!
『これを知る者、好む者はこれを楽しむ者に如かず』。
“楽しい”世界に一歩足を踏み込んでみましょう。
「暑さ寒さも彼岸まで」ようやく秋を実感できる気候になってきました。
40度近い酷暑、線状降水帯による水害、突風・竜巻で各地の自然も傷ついてしまい、どこまで美しい紅葉を鑑賞できるか心配です。
しかし、秋の風情とは紅葉だけでなく、風になびくススキの群、夜空に輝く中秋の名月、コオロギ・スズムシの合唱、静かに滴り落ちる秋雨等、これらの情景も魅力的です。
筆者には、随分昔になりますが、この情景を劇画の中で思い出すシーンがあります。
春風会HPの「おすすめ情報・BOOKS」にも紹介している、『無用ノ介』で描かれた、ある決闘シーンの場面です。
『ゴルゴ13』で有名なさいとうたかお原作の本格的時代劇漫画で、1967年から全15巻で連載されました。賞金稼ぎを生業とする浪人・志賀無用ノ介が、我流の「野良犬剣法」で必死に戦う様を描いている人気作品でした。
その劇画が、伊吹吾郎が演じるTV映画となり、第6巻「剣につばする無用ノ介」のラストシーンを紹介します。
“剣の道が何たるかを教えるので立ち会え!”と言う道場の師範代に売られたケンカの試合をします。
そして道場剣法に不慣れな為に、師範代の伊庭七郎に敗北してしまいますが、“所詮、竹竿遊び”と言ってしまい、真剣での立ち会い勝負をする羽目になります。
決闘日の夕方、そこはススキ群生の草原、二人は静かに刀を抜いて青眼に構えます。
時が過ぎ、夜空には月、無風無音の世界に虫の音が響き始めます、微動だにしない二人。
虫達は寝静まり、日が変わる頃しだいに風が吹き始め、ススキが大きくざわつき、ついに雨が降り始めます、それでも青眼の構えを崩さない二人。
一昼夜経過した明け方、朝日が登り始めた時、ついに伊庭七郎の剣先がほんの少しだけぶれます。
その一瞬の隙を見逃さず無用ノ介が切り込み、決着がつくというラストシーンでした。
無用ノ介にとって、刀は体の一部として同化していたが、いつも道場で竹刀しか使っていなかった伊庭七郎には、如何に剣法の技が優れていても、刀は扱えませんでした。
それほどに重い刀を使いこなす体と心を必要とする、常に白刃の下に身を置く覚悟で真剣を振り抜き、修羅場を生き抜いてきたことが勝ちの要因であったのです。
このメッセージと決闘場の秋の情景が、強烈な記憶として残っています。
さて、ゴルフのドライバーは300g、野球のバットは900g、真剣は1キロです。
刀を体の一部にするくらいの覚悟を持って、秋の始まりと共に居合道の世界に身を置き、この重い真剣を使いこなしてみる挑戦をしてみませんか?
『残暑お見舞い申し上げます』
いわゆる残暑とは、立秋を過ぎた後の暑さのことで、8月いっぱいくらいは暑い日がつづく(残る)という説明なのですが、9月になっても続く熱中症アラームの日々です。季節の言葉の定義に合わなくなってしまいました。
夏の暑さを懐かしみ、秋に向けて心を整えましょうという意味合いも虚しさを感じてしまいます。
さてこの「残る」という語句には、残影、残雪、残存という熟語がありますが、『残心』という言葉をご存知でしょうか?
武芸で、一つの動作を終えたあとでも緊張を持続する心構えを言う語です。
剣道では、打ち込んだ後相手の反撃に備える心の構え、弓道では、矢を射た後の反応を見極める心の構えのことです。
居合道では、技を決めた後も、反撃を防ぎ、心身ともに油断をしないことです。
近年、残心が消失したとも言われている事例として、例えば現在の柔道では、試合後に勝者がガッツポーズをするシーンが散見されるなどの指摘があります。
日常生活においては、どんな事例があるでしょうか?
例えばお客様が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではありません。帰っていくお客様が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送ります。
その後、今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。
一期一会まで受け止めると少し意識過剰かもしれません(笑)。
ともあれ、居合道の稽古では、間合いの取り方が短くてもダメ、長すぎてもダメ、一拍おいて刀をおさめ、仮想の敵に敬意を払う、この一連の残心を習得していくことになります。
そして、学んだこの心構えが、日常生活の言動に繋がっていくことになります。
6月6日公開以来、8月になっても高い評価を受けて上映が続く映画があります。
原作者吉田修一自身が3年間歌舞伎の楽屋に入った経験を血肉にし、書き上げた渾身作「国宝」です。任侠の一門に生まれながらも、歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げた主人公・喜久雄(吉沢亮)の50年を描いた壮大な一代記です。
歌舞伎の女形を演じる作品ですから、芸道の厳しい修行、美しい所作のあり方、万芸に通じる映像の世界観を感じることができます。
作中では子役時代の喜久雄がしごかれるシーンもありますが、鑑賞した市川團十郎は「僕の時代はもっと厳しかった。骨の骨格が変わるような日々だった」と自身の子ども時代の感想を述べています。
芸道、武道全ての「道」には、厳しい修行がついてまわりますね。
春風会では、時代に合わせた稽古を基本方針にしていますので、それぞれの年代に合わせた学びの発見があると思います。趣味ですので「楽しく学ぶ」稽古です。
2025年5月23日に、最新作「ミッション・インポッシブル」が公開されました。
世界平和を脅かす組織に、毅然と立ち向かうIMF所属のイーサンハント役をトムクルーズが主演します。
トムクルーズもすでに、62歳になりましたが、今から22年前の2003年、若い頃の主演作品「ラストサムライ」を、今月はレビューします。(春風会HP【おすすめ情報】にも紹介)
アメリカ映画ながら、日本を舞台に日本人と武士道を偏見なく描いた作品です。
トムクルーズがアメリカ北軍士官オールグレン大尉役、士族当主の勝元役を渡辺謙、剣術指南するサムライたちのリーダー役を真田広之が演じます。
オールグレンはサムライたちの精神世界に魅せられるようになり、そして勝元もまた、オールグレンに不思議な魅力を感じ始めていくという流れです。
合戦の撮影場所はオーストラリアですが、剣の技を磨くシーンは、姫路の書写山円教寺が撮影場所になっています。(聖地を訪れてみてください)
もっとも感動し、涙したラストシーンは、明治天皇の御前に拝謁するオールグレインとの会話です。
オールグレン(トムクルーズ):「これは勝元の刀です、お納めいただき武士の力を守りとされたし・・・・」
明治天皇:「(刀を手にして)見届けたのか、最期を?・・・・・・死に様を聞きたい」
オールグレン:「・・・・・生き様を、お話ししましょう」
二人の間の静かな空間の中、心が通い合うやりとりがあり、そして、武士の時代が終わっても、日本の歴史と伝統は忘れてはならないと続く場面です。
“侍は潔い死に様であることが美徳”のように理解されがちですが、”人としてのあるべき生き方をすることが武士道である“というメッセージです。
居合道を始めると、侍たちの精神世界である武士道を身近に感じる領域に少し踏み込むことができます。世界各地で続く戦争、地球温暖化、SNS悪用の時代、節度のある言動、人としてのあるべき立ち振る舞いの大切さを、『ラストサムライ』のメッセージ同様に教えてくれてます。
春季昇段審査会(3/9)が開催される3月に入りました。
審査前は、稽古にも気合いが入り、飛躍的に上達をする期間になります。
道場は審査受けるメンバーの熱気で溢れています。
さて、今月のテーマですが、政治家や企業のトップがお詫びしたり、しらばくれるシーンを目の当たりにする昨今です。
昭和世代としては、この儀式的な謝罪の様子見ていると、ついつい水戸黄門のT V番組を思い出してしまいます。(お昼に再放送していますね)
すでに引退した副将軍という職位にもかかわらず、全ての人間を平身低頭させますから、徳川家の権力には驚きを隠せません。
その水戸黄門の、「スケさんカクさん、懲らしめてやりなさい」の一言で斬り合いが始まり、「もういいでしょう」の二言目で終わりを宣言、そして、「恐れ多くも・・・この紋所が目に入らぬか・・・一同の者頭が高い・・・控えおろう!」と同時に御老公の印籠が全面公開され、戦っていた全員が驚愕、一斉にひれ伏し、悪事をはたく者でさえ土下座します。
この行為、最初から印籠を見せて正体を明かせておけば、多くの怪我人も出ないと思うのですが、現代なら完全なパワハラ行為になります。しかしながら、こんな印籠が現代に存在するならば、誠心誠意の謝罪をすること間違いなしです。
ところで、この懲らしめの立ち回り(殺陣)についての考察です。
スケさん、カクさん共に、刀の向きを変えて、峰側(刀の背中)を相手に向けて、打ち込みます。(峰打ちと言って、斬りません)
この峰打ち立ち回りシーンを観て、筆者はいつもこんなことを考えてしまいます。
・斬らないからいいというわけでなく、峰打ちでも、骨折に収まらず骨も砕く大怪我をさせているはず
・相手は刃を向けて斬りにくる、自分の刀の刃はじぶんを向いている、これはかなり怖いはず
・刀の反りが逆になるとバランスが悪くなり、刀は上手く振り切れないはず
居合道で刀を振った経験ある人は、理解、実感できると思います。
時代劇映画を観ていると、ストーリー以外に柄の握り方、納刀(鞘に刀を納める)の仕方、所作等々色々なシーンに目が向いてしまう能力が芽生えてきます。
横道にそれますが、真田広之さんが監督した『SYOGUN』は、当時のままの立ち振る舞いの時代考証されたことが評価されています。役者として熟知たるものを長年感じられていたのでしょう。
左腰に帯刀し、居合道の世界に挑戦しましょう、見えてなかったものが見えるようになりますし、自分自身の立ち振る舞いも変わって行きます。
是非、春風会にお越しください。侍の礼儀作含めてお手伝いします。
おまけに二つの『ありえなーい!』の紹介です
・水戸黄門の随行メンバーである風車の弥七(忍び)、紅お銀(くの一)は、逆手に持った短刀(鍔もない)で長刀と対等にやり合います。これは超危険、ありえませーん!
・黄門様は、持っている杖で、真剣を受け止めていますが、あんな硬い木の杖ってありえませーん。刀は、木を切ります!
先日の朝刊で、“武道はスポーツですか”というテーマの記事を読みました。
女性剣道家(七段)の意見を一部抜粋してみました。
『剣道にはスポーツと武道の両面があると感じます。心技体を鍛え、努力をし、勝てば達成感がある。スポーツと同じです。五輪で、勝利を納めて喜びを爆発させる選手たちを目にします。その気持ちはわかりますが、負けた相手の心情も考え、感情を抑えるのが武道だと思います。
私は優勝してもガッツポーズはしたいと思いませんでした。
剣道では、ガッツポーズをしたら一本が取り消されますが、それ以上に勝っても「めざす剣道にまだ到達していない」と再確認するからです。
一本にするには、技だけでなく、充実した気勢や残心が必要とされます。
心を残すことです。次の備えをして、気をつなぐ。それがガッツポーズ禁止にも繋がります。わかりにくい規定と言われるのも理解できますが、竹刀が打突部位に当たればよしというルールにしたなら、それは剣道ではなくなってしまいます。
海外で剣道を指導すると、外国人の人ほどこの武道の精神性を重視していると感じます。』
MLBレギュラーシーズン最終戦が終わり、ドジャース大谷選手の活躍が驚異的でした。
「宮本武蔵は二刀流」というのは昔話、昭和世代でも「二刀流といえば大谷翔平」と答えるのが今の時代です。
大刀を右手、小刀を左手に持つ二刀流剣術を確立した宮本武蔵。
今年はバッターに専任したことで、“大谷翔平の一刀流”と言われていますが、50−50は、バッターとしての二刀流(パワーとスピード)であり、来年はピッチングも加えると三刀流になってしまうとも言えます。
ダルビッシュ選手が『皆さん、大谷選手もホームランの飛距離がすごいとか、ピッチャーもやるなんてすごい能力だと言いますが、“裏”を知らない。トレーニングや食生活等の裏の努力を見て驚きます。たとえその裏を知っても、誰もそれを同じようにはしないし、できない。大谷の裏の努力は凄まじい』と言っています。
宮本武蔵、大谷翔平、井上尚弥、藤井聡太、時代や分野を超えての超一流人物は、体・心・技を鍛える弛まぬ努力、自己実現への強い探究心、人格・品格に優れた人間力を持っています。
“サムライ”という表現が昨今安っぽく使われますが、超一流人の言動は、“真の侍”であり、武士道を学ぶ良いお手本にしたいものです。
居合道を経験することで、少しその侍世界観に浸りませんか?
2023年末に上映された北野武監督の「首」が、ネットでも公開されました。
戦場での斬り合い、斬首、切腹シーンは生々しく、表現レベルはかなり高い作品です。
反面、有能な武将達の立ち振る舞い、会話のやり取りは、軽薄で軽く、まるでコント。
現実に近かっただろうと思える残忍なシーンとのそのアンバランスがしだいに笑いを誘います。
大河ドラマ等で描いてきた立派な武士や戦国時代を、『狂った世界』だと一喝し、嘲笑い、その象徴に『首』を用いたメッセージ、意外にも面白いです。
さて、戦国時代の武器は鉄砲、弓矢、槍、刀ですが、刀で斬り合う間合い(相手との距離)はかなり接近戦で怖いと感じることが、居合道の稽古での試し切りなどで実感できます。
そんな実感を持って時代劇を観ると、一般の方々には理解できない、気がつかない数々のシーンが目に止まります。
厳しかった武士道の世界を実感することのできる居合道を始めてみませんか。
(NEWS)
8月25日の居合道夏季審査会にて、下記会員が昇段することができました。
初段:6名、三段:2名、四段:1名、五段:1名
(NEWS)
春風会のイメージキャラクターは、可愛いらしい春姫と風千代です、トップページにも数々登場しています。アニメ調のスタイリッシュなイメージになってもらいました。
パリオリンピックが開幕し、早くも各国選手の活躍ニュースが入り始めています。
さて、NHKで毎週水曜日「明鏡止水」という番組が放送されていました(7月末で終了)。
【武の五輪】というサブタイトルは、オリンピックの五輪と宮本武蔵の五輪書を意図していたのだと思います。
毎週のテーマから、スポーツや武道に共通する理論を紹介する内容なのですが、オリンピックの各種競技の見方も随分変わってきます。
柔道、空手道はもちろん武道そのものですが、アーチェリー、ボクシング、レスリング、フェンシング、ボルダリング、やり投げ、馬術なども武道の理論に共通する技術が取り込まれているということを紹介しています。
無駄な力を入れない、軸をぶらさない、自然体の動き、呼吸法、重心の置き方等々は、まさに居合道の稽古で習得するべき課題にもなっています。
オリンピックは、一流アスリートの技を見極める絶好の機会です。
阿部詩選手が2回戦で敗れてしまいましたが、相手のウズベキスタン選手は、勝っても喜ぶ様子を見せず、粛々としていました。相手を尊敬するその所作は、武道にある精神をしっかりと身につけていました。
金メダルを取った、逃した、いくつ取ったなどのメディアのニュースに翻弄されることなく、技だけでなく、世界のアスリート達の所作にも目をむけてみませんか。

春風会は昭和44年に設立された、会員数も多い大阪府剣道連盟所属の居合道の会です。
設立された初代会長は、元全日本剣道連盟居合道委員長・範士九段 福田一男 先生です。
会員数は、2024年12月末時点で、52名(男性:39名・女性:13名)です。
2023年12月末撮影

歴代会長

ごあいさつ
伝統と誇りと明るく活気あふれる「居合」への三つの思い
定例稽古

春風会キャラクター